坐禅やヨガには試合がない

坐禅にもヨガにも試合がない(ヨガはあったりするらしいけど)。試合がないから、試合の為の練習をすることもない。

ヨガをする人は「ヨガの練習をする」と言う。坐禅をする人から「坐禅の練習する」と言うのを聞いたことがない。

練習の意味を調べてみたら、

【練習】
[名](スル)技能・学問などが上達するように繰り返して習うこと。
デジタル大辞泉の解説より)

ところでアシュタンガヨーガの創始者Shri.K パタビ・ジョイス師という方は、99% Practice 1% Theory とよく言われていたそうです。99%のプラクティスと1%のセオリー。これも調べてみると、、、

practice【名詞】
1【不可算名詞】
a(理論・思想に対して)実行,実践; 実地,実際 (⇔theory).
用例
theory and practice 理論と実際.

2【不可算名詞】
a[具体的には 【可算名詞】] (反復して行なう)練習,けいこ 《★【類語】 ⇒exercise 2》.

(研究社 新英和中辞典より)

practiceを調べたら、theoryも合わせて意味が載っていました。practiceには、練習って意味もありましたが、最初に出てきたのは、実行、実践、実地、実際とのこと。

たかだか言葉のちょっとした違いじゃないか、と言われるかもせれないけれど、言葉を軽視してはいけないと思う。実際のところ言葉は、分かれていないものをきっちり分けて、僕たちを迷わせたりする。前にも書いた呼吸と身体の動きのこともそう。心と身体だってそう。どこが心でどこが身体なのか?

ヨガにも坐禅にも試合がない。いつだってそのときどきの実地、実際があるだけ。そうじゃない?