坐禅に出会うまで 2

前回の続きを書きます。

ラマナマハルシの本を読んで以降、急激に超能力を手に入れようという気がなくなり、ほんとうの自己として在ること、ってことがテーマになった。

アドバイタ系の本を読み始めるとすぐに不思議な感覚になり、「あー、これが〈それ〉で、こうやっていればいいんだな」なんて感じで、自分なりにアレコレとやってみました。当時、アパートに一人暮らしで、トイレのドアを閉めると完全な暗闇で、音もほとんどなく、その中で一体自分は何なのか?ってやったりもしました。

光が全くないと、どんだけ時間が経っても目は何も映さないんだなー、と知りました。少しでも光があれば、徐々に目が慣れてきて暗いなりにも何か見えてくるんですが、光がないと本当に全然見えない。目の前で手を動かしても、手の動きは全く見えない。そこにあるのは手自身の動きの感覚だけ。動かずジッとしていると動きの感覚もなく、真っ暗で音もなく、すごく不思議な感じでした。そして、そうやって過ごした後、外へ出ると身体がないみたいに軽くなって心地良かった。

けれど、本を読んだり、トイレに籠ったり、森の中で過ごしたり、色々やってみて何かいい感じになるものの決定的にスッキリすることはなく、何かいい方法はないかとネットや本を探し続けていた。そうこうするうちに、あるとき、坐禅ばかりをしているお坊さんの語録集を読んで、「坐禅をやってみよう」という気になり、自宅で坐禅の真似事をし始めた。これが多分、坐禅と出会う為の二歩目だったんかな。

なかなか終わらんな。とりあえず、今日はこれでおしまいにします。