坐禅に出会うまで 3

前回、自宅で坐禅みたいなことを始めるとこまで書いたので、その続きを書きます。

坐禅の語録やラマナマハルシ系の本を読んだりしながら、独りで坐禅みたいなことを続けていきました(当時、自分では「坐禅みたいなこと」ではなく坐禅をしていたつもりでした)。本を読んだり足組んで座って、ってやる中で、本に書いてあることもよくわかるし、座っていてもそれを体現できているって実感もあったりするし、自分ってのはこの身体の中にいる存在じゃない、って思いを持ちながら、日々の暮らしの中でエブリシングイズオーケーって感じにはならなかった。そういう気分になるときもあるけど、いつもそうってわけにはいかなかった。なので、相変わらずネットや本で何かいい方法はないか?と探し続けていました。そうこうするうち、ある西洋人によるラマナマハルシの「私は誰か?」に対する修行メソッドのような本に出会いました。本屋さんでパラパラっと立ち読んだ瞬間に「これはヤバい!」と思った(笑)。この方法をしっかりと修行したら、今一歩すっきりしない自分の境涯も悟りの境涯に定住できる!って感じなことを思い、それからは坐禅みたいなことではなく、そのメソッドに没頭し始めました。独りで自宅でやるだけじゃなくて、そのメソッドのリトリート(修行合宿)にも頻繁に参加しました。

リトリートはとても素晴らしい体験で、こうやって修行を続けていけば、あるとき何もかもがはっきりしてオールOKになるときが来るに違いない!と思い、リトリート中もよく足組んで座ったし、家でもよく座りました。一年ちょっとそのメソッドのワークを続けたかな?やっぱりどうしても、同じようなとこで行き詰まっちゃうんですよね。どうやっても「自分」っていうのが残ったまんまで手詰まりって感じ。「自分」が頑張っちゃってるんだから、どうしたって「自分」が残っちゃうっていう。で、どうしようもなく、天にお任せするよりないな、なんて思って、流れにお任せしようって感じになり、座ったりする時間も減らしていきました。

ダラダラと中々終わらないや。続きはまた今度です。